2010/09/01

他人の資格試験の話

これは、大した事件ではないのかもしれませんが、私には気になった話でした。資格試験に関係があります。私自身の話ではなく、知人の職場が舞台です。知人の仕事では業務との関わりが深い資格が存在します。国家資格ではなく業界団体が試験を実施して認定するもので、その資格を取っていない者でも十分に仕事はこなせますが、他の会社で同じような部門の人たちを見回すとその資格を持っている方々が結構な人数存在するそうです。資格が認定されるためには試験に受かるだけでは足りず、特定の仕事に従事している必要があるため、働きながら取得する人がほとんどのようです。

さて、知人の職場の同僚であるA先輩が、その資格試験を受験して資格を取るよう、上司から指示されました。知人を含む他の部下に対して上司は、会社側も業務の専門家を育てたいので A先輩に受験を指示したと説明しました。業務目標として受験を指示されたのですから、その資格を取るために通常必要とされている通信教育の受講料や試験の受験料は会社が負担し、勉強する時間を確保するためになるべく残業しないで帰宅しても上司はきちんと認めてくれるとのことです。 A先輩は業界団体が運営する通信教育の受講を開始しました。つい最近、教材がどっさりと自宅に送られてきたという話は、私の知人も A先輩 から直接聞いた記憶があるそうです。

何日か経って、職場の定例ミーティングで上司が、 A先輩にその資格を取得させるのは止めて、送付されてきた教材の要点を部下に展開するようにしたいという訳の分からないことを説明したそうです。要するに A先輩は勉強を始めてすぐに受験を諦めてしまったのです。私はこの話を聞いて、A先輩はなぜそう易々と受験を止めてしまったのか、失敗しても構わないのに勝負しなかったのはなぜか、不思議に感じました。国家資格ではないにしても、その資格をもっていれば、業界のプロたちがそれなりの目で見てくれて、人脈を広げるきっかけにもなりますし、何かの事情で転職する際にも多少は有利になると思われます。しかも、業務としての受験ですから、万が一失敗しても自腹は痛みません。(知人の話では合格率はそれほど低くないとも聞きました。)

その後、 知人はA先輩から直接話を聞く機会があり、わかったのは、 A先輩は自ら進んでその資格を取りたいと思ったことはまったくなく、単に上司から指示されて受験を目指さなければならなくなった、苦労して資格を取りたいとも思っていなかったということでした。A先輩は言われて動いただけで、受験準備は率先して開始したものではなかったわけです。受験準備を妨げる理由は何がしかあったのでしょうから、あまり厳しい目で見るのは筋違いでしょうが、この話を一通り聞いて私自身を振り返っても、仕事・生活・趣味のどこかの場面で 特に悔しさも感じずにA先輩 のようにあっさりとくじけたことが沢山あったような気がします。そうした場面を振り返ると、絶対その目標を成し遂げる梃子でも動かない決意が自分自身に最初から欠けていたようです。

資格試験という非常に狭い世界に限定した話との条件付きではあるものの、知人の話に現れるA先輩と比較するとISUの中小企業診断士の皆さんは中小企業診断士になるという場面において、ご自分の強い意思を発揮なさった経験を持った方々です。ほとんどの方々は働きながら資格取得を志したわけで、受験準備は、皆様遠い過去のことかもしれませんが、人から指示されただけでは到底乗り切れなかった大変なものだったろうと推察します。周りに言えずにこっそり勉強した人も多分いらっしゃるでしょうし、大体の方々は自腹だったと思います。最初は困難に見える目標でも、自分の強い思い入れが行動の源泉になっていれば、成し遂げられるのだということを皆さんは既に実践されているのです。逆にそれほど困難な目標ではなく、しかも誰かが環境を与えてくれた場合でも、私達自身の中に行動の源泉がなく、人から機会を与えられただけであるなら、私達はその機会の貴重さを見過ごすことがあり、目標をしぶとく追いかける意欲も湧かないのかもしれません。

ところで、今回の事例について別の側面を見ると、知人の上司の力量も問われているように思えます。この資格の取得を指示したのは上司で、A先輩の自発的な意志ではないとして、上司の説明や説得の仕方次第では、 A先輩をその気にさせることはできたのではないでしょうか。どのような組織でも、組織人となった以上は、100%自発的に企画した案件だけを一生涯続けられる人は皆無だろうと思います。結局、上司に指示されて担当者になったり、部下に指示して何かをやらせたり、という繰り返しで仕事が回って行きます。どのようにしたら相手に、あたかもその相手自身が自発的に仕事を見つけてきたかのような意欲を持たせることができるか。かなり難しい技でしょうが、身につければ組織人としては相当な強みになります。 A先輩の上司がもしもそうした技を持った人物だったら、今頃 A先輩は資格取得に向けて猛勉強していたはずです。
(2010年9月 酒井 宏忠)