2011/05/31

働くということ

ここ数年、私は大晦日に大学時代の友人と集まっている。お酒を飲み、紅白歌合戦を見ながら1年間の出来事や、大学時代の思い出話に花を咲かせつつ年越しをしている。何と幸せな時間を過ごしていることだろう。年越しのカウントダウンが終わり、新しい年を迎えると、気持ち新たに、その足で初詣に行く。
今年の初詣は、初めて深大寺へ行った。参道から境内にかけて、深夜にもかかわらず大勢の人であふれていた。これぞ日本の正月と言わんばかりに。
今年一年が良い年であって欲しいと願い、今年の運勢をかけおみくじを引く。今年は何と「大吉」だった。今年は良いことがありそうだ…。そんな平成23年の幕開けだったはずなのに、まさかこのようなことが起こるとは思いもよらなかった。

3月11日を境に、全ての生活が変わった…。そう感じずにはいられないほど今回の東日本大震災は我々の生活に大きな衝撃を与えた。地震、津波、原発事故…。直接の被害はないものの、突然の停電は、今までの平穏な生活がまるで砂丘の楼閣のように崩れ、不安と混乱の日々を招いた。そして、それは今も続いている。関東に住んでいる私たちですら、震災により生活スタイルが一変したのだから、最も地震、津波、そして原発事故の被害が大きかった東北に住んでいる人々の生活は私には想像ができないほど過酷なものだと思う。
テレビや新聞で見る宮城・岩手の光景は不謹慎かもしれないが、映画と見間違えるほど、壮絶なものだった。逆に、放射能による退去命令がでた福島の町は、ゴーストタウンのように静まりかえっていた。とても、豊かさを謳歌していた同じ日本とは思えない。それくらい、今までの生活を否定するような光景が報道されていた。

震災から2カ月が経過し、原発の恐怖は依然ぬぐえないものの、余震も減り、被災地では徐々に復興の気運が高まってきている。
先日、新聞記者をしている私の友人が、取材とボランティアで被災地入りをした体験を聞かせてくれた。報道で映しだしている光景とは若干ことなり、今は、大抵のところでは、物資は溢れているそうだ。もちろん、全てが満たされているというわけではないが、明日の食べ物も心配しなければいけない状態ではない。そんな中で、未だに足りないものが二つあるとその人は話していた。それは、「住居」と「仕事」である。
「住居」については、現在仮設住宅の建設や、賃貸物件の紹介等で急ピッチに改善を進めているところであるが、「仕事」については、あまり捗っていないのが現状である。他県による就職先のあっせんも行われているが、生まれた土地を離れる決断は難しく、マッチングも進んでいない。他方、壊滅的な打撃を受けた地域も多く、地元で仕事を求めることは難しい状況となっている。身の回りの物資が満たされているものの、毎日、仕事をしたくてもできずに、ただ避難している生活も、やはり人として辛いはずである。

思えば、日々仕事ができるということは本当にありがたいことだ。自分が健康であっても働く場所が無いということは、どれだけ辛いことだろうか。当たり前に仕事ができる私たちはそのことを忘れがちである。
職場のちょっとしたことに不満ばかり言う人、仕事の向上のための努力をせずに、ただ与えられたことをこなすだけの人、あげくの果てには、自分の権利ばかりを主張して全く義務を果たさない人。豊かさに慣れた私たちの周りにはそんな人がたくさんいる。それどころか、自分自身こそ、そうかもしれない…と、ふと気づき、反省してしまった。

英語では、職業のことを「calling」と言ったりする。「calling」、つまり神のお告げである。どんな仕事でも与えられた仕事は天職なのである。もちろん、ここは日本だ。しかし、
「自分はこんなはずではなかった…」
「本当はもっと違ったことをやりたかった…」
「どうせ結婚するまでだから…」
「アルバイトだし、責任感のある仕事はちょっと…」
などと、今の自分の仕事を軽んじるばかりでは、新しいものは生まれないし、何より楽しくない。日本全体が危機に瀕しているこんな時こそ、ひたむきに今の仕事と向き合って頑張っていくことも大切である。そして、それが日本復興の近道となるのではないだろうか。

(2011年6月 渥美 仁孝)