2011/11/01

テレビコマーシャルについて思うこと

 最近心に残るテレビコマーシャルを見た。
それは、高校生?になった息子のためにお弁当をつくる母親のCMだ。母親は何もしてあげられないが、3年間お弁当を作り続けることを決心する。息子は反抗期らしくあまり会話もない。だから母親はお弁当を通して息子にいろいろなメッセージを伝える。息子の部屋を掃除していたら8点のテストを見つけ、翌日とんかつを入れて「喝(カツ)」と伝えたり、彼女と歩いている息子を見かけたときは、紅ショウガをハート型にご飯の上に載せて「祝(しゅく)」と伝えたりなどだ。
3年後のお弁当最後の日に、最初につくったお弁当を息子と自分の分の2つを作って、母親は堤防でお弁当を食べながら、3年間毎日お弁当を作った自分をほめる。そして夕方家に帰ってくると、息子の食べたお弁当箱が食卓に置いてあり、開くと「ありがとうってずっと言えなくてゴメンなさい」という息子のメモが。母親はそれを見て涙ぐみ、「家族と料理のそばに東京ガス」というナレーションが入りCMは終わる。
このCMを見て何のCMなのか分からなかったが、見たあと何とも言えない心のあったまる気持ちになった。
近年、テレビコマーシャルの力を衰えたといわれて久しい。これはテレビコマーシャルを流しても、以前のように商品が売れない、とかブランド認知率が以前の様に放送量に比して上がってこないというものだ。
確かに私が子供の頃の昭和50年代はテレビコマーシャルが時代を作っていた気がする。テレビコマーシャルに使われた曲がヒットし、コマーシャルで使われたタレントがすぐ人気者になっていった。
そのころに比べると、今は娯楽がテレビだけでなく、インターネットやゲーム、SNSなどいろいろあってテレビを見なくなってしまった。更に録画するレコーダーは勝手にテレビCMを飛ばしたりして、テレビコマーシャルの存在感は薄まるばかりだ。
しかし、広告の中でいまだ絶大な影響力を与えるのもテレビコマーシャルであり、いまだそれを超えるものはない。インターネット広告も拡大しているが、テレビコマーシャルほどの影響力はない。
日本のテレビコマーシャルはタレントを使うことが大変多いと聞く。テレビ番組で海外のテレビコマーシャルを放送しているのを見たが、どこの誰が出ているのかわからないが、どれも秀作だ。広告は芸術作品ではなく商品を売るためのもの。昔サントリーの広告を見たらウイスキーが飲みたくなったそうだ。そんな広告を見たいと思う。

(2011年11月 佐野 裕志)