2012/03/08

『絆』

東日本大震災から1年が経過しようとしています。
時事通信の「震災からの復興」「原発事故への取り組み」についての調査では、
「全く進んでいない」と答えた割合が23.2%、
「あまり進んでいない」が58%になったそうです。
そう感じる理由は、被害があまりにも甚大だったことを抜きにしても、
被災者を置き去りにした国会での権力闘争や、強いリーダーシップがないなど、
政治・行政での失策による面が大きいのではないかと思います。

確かに、そういった面は紛れもない事実だと思います。
しかし私は、私たちが「総論賛成・各論反対」になっているため、
復興が進んでいないのではないかと感じています。

「絆」「がんばろう日本」などのスローガンの下、
被災地域の復興を支援する、という考えは、多くの日本人の共通認識だと思います。

しかし、処理しきれず復興の妨げになっている瓦礫は、
地方自治体が受け入れを容認しても、多くは地元住民の反対で実施できず、
処理が進んでいません。

酷いものでは、福島から避難してきた子供に、「放射性物質がうつる」などという中傷で、
いじめを受けたり、保育園への入園を拒否されるケースも出てきています。

もっとも、同じようなことは、税・年金改革でも見られます。
今のままでは年金財源が不足するので、制度改革する必要は共通認識だと思います。
しかし、消費税が10%、15%、20%増税される、という話が出てくる度に、
「行政の無駄を省くのが先だ」といった声に押しつぶされてきました。

こうした問題の場合、どこかに痛みが押し付けられるのは避けられません。
押し付けられる人々が猛反対することも理解できます。
私は反対意見を主張すること自体は否定しませんし、
むしろ反対意見とすり合わせることで、より皆が納得できる内容になると思います。

しかし、ベストないしはモアベターの行動をとっても、
反対意見が全くのゼロになるということは、絶対にあり得ません。
ましてや、どの行動が正しいのかは、誰にも分かりません。
であればこそ、復興のような迅速性が要求される案件については、
反対意見・批判を恐れずに、強力な信念・リーダーシップによって、
施策を迅速に実行する必要があると思います。

そして、私たちも今一度冷静になり、
何の落ち度もないのに、あまりに突然に多くのものをなくした上に、
故郷に放射性物質という消えない爪痕を残された方々の気持ちを思い、
分かち合える痛みは共有することが、本当の『絆』なのではないかと思います。
(2012年3月 林 哲史)