2012/03/31

民主政治と衆愚政治

衆愚政治という言葉に初めて出会ったのは、中学の歴史の教科書でしょうか。この時は、衆愚政治と言われても、ピンとこなかったように記憶しています。

歴史上で初めて民主政治を実現したのは、古代ギリシャの都市国家アテネです。先進的な文明と経済的な繁栄を謳歌したアテネでは、一般の平民までが参政権を得る民主政治が発展しました。しかし、アテネの民主政治はやがて行き詰まり、破綻に至ります。後世の人たちは、アテネの民主政治が行き詰まった状態を衆愚政治と呼びました。中学の歴史の教科書に書かれていたのは、このような内容だったように思います。それに対して持った印象というか考えというのは、人類は過去にいろんな失敗を経験して、今の民主的で平和で安定した社会を築けているというものでした。まだバブル景気の余韻が残る90年代前半だった当時としては、衆愚政治と聞いても遠い遠い過去の出来事という認識程度しか持っていなかったのです。

しかし、ここ数年間で表面化したギリシャ危機と、その発生過程を含めた一連の騒動を見てみると、現代のギリシャにおける民主政治は衆愚政治そのものだということがよくわかります。民主的に選ばれた政治家は、大衆迎合的な政策にしか関心を持たず、地縁者・血縁者・支援者への利益誘導を積極的に行い、重要課題の先送りを繰り返しました。ギリシャの場合は、世界的な好景気と、低金利、ユーロに対する過剰評価が重なり、この傾向はさらに酷いものでした。そのうえGDPなどの統計データや政府予算も粉飾し、実態を隠していました。その実態が表面化したことが、直接的にギリシャ危機につながったわけです。おかげで世界中が大混乱したわけです。しかし、ギリシャ国民には反省の意識はまったくなく、被害者としての意識しかありません。また、自己中心的で、エゴイズム剥き出しの態度も改めるつもりもありません。その一方で、世界は自分たちギリシャを救済すべきだとか、ユーロ圏やEUには残らせてくれと、わがままな小学生でも遠慮して言えないようなことを、真顔で要求しています。ギリシャ危機は一旦収まりましたが、根本的なところが解決されたわけではありません。今後も同じような状況が繰り返されるでしょう。

一方の日本はどうでしょうか。おそらく、今の日本の状態も衆愚政治そのものなのでしょう。財政再建問題にしても、TPPにしても、教育制度の見直しにしても、重要な課題に対しては政治家も有権者もエゴイズム剥き出しになり、少しでも損になることには大反対します。その結果、議論が停滞したり、後戻りしたり、詭弁に踊らされたり、論点がすり替えられたりしています。日本の民主政治は完全に機能不全に陥っているわけです。

日本政府の国家債務や毎年の赤字予算額を考えると、消費税の大幅増税や、年金支給などの社会保障費の抜本的削減は、喫緊の課題でしょう。また大きくなりすぎた政府部門の大幅縮小も必要でしょう。若年人口の激減と、高齢者層の激増についても取り組む必要があります。これらの問題は何年も前からわかっていた話です。基本的にみんな難しいことは考えずに他人任せでここまで来たわけです。1000兆円という国家債務は、多かれ少なかれ過去に日本国民がこれまで要求して、積み上がってきたものです。我々は皆、その恩恵にあずかって来ました。そしてそのツケは、後世の日本国民に支払ってくれることを願っているわけです。

(20124月 橋本 歌麻呂)