2012/07/06

原発について

今月の当研究会のディベートのテーマが、原発に関するもの(研究会の目的はどういう立場が正しいか決めることではなく、論理的思考の訓練であるが)であるものの、小職自身が所用のため欠席せざるをえないことから、考え方の枠組みについて、若干をコラムとして書かせて頂くことにした。

世界の報道を見るに、原発に関する論争はなぜだか主義主張、イデオロギーに関するものになりやすい。言い換えれば、感情論にもとづく正義論争である。

小職は、原発に関してイデオロギーで議論することはそろそろ卒業するべきだと思う。日本国家にとっての損得計算で議論しなければ、日本を追い越そうとしている世界各国にとって、「しめしめ」と思われるのが落ちであろう。

詳細は割愛するが、日本が原爆で悲惨な体験をしたのは歴とした事実であるが、にも関わらず第二次大戦後に日本が原発を推進したことには、エネルギー安全保障、国際収支改善、高度経済成長支援などなどのきちんとした理由があったからだと思う。

一方、福島原発事故で、有事の際の原発の負の側面が認知されたのも事実である。かといって、原発を全廃した後の日本がどうやって電力を賄うのかと問えば、短期的な原発代替策はない。とは言っても、長期的には再生エネルギーに完全にシフトすれば、技術の革新、脱炭素社会の実現といった相応の見返りはあるかもしれない。

原発を動かすことの日本人にとっての長所と短所を冷静に議論することができれば、日本国家にとっての正解は論理的に導けるのではないかと感じる。

どこかで聞いた話だが、数学の定理をめぐって戦争はおきないが、イデオロギー対立は実力闘争に及ぶのが歴史の示すところである。まずは原発問題を、私含めて多くの国民が陥りがちなイデオロギーの土俵から外して、論理の世界に引き戻すべきだ。昨今は保守派=原発推進、左派=原発反対の図式だが、その意味がそもそも不明だ。政治家自身が、本来論理的に解決できる問題をイデオロギー論争に摺り替えて、政争に利用しているように見える。日本の国益を意識して、本件では是非論理的な判断をするべきである。
(2012年7月 酒井 宏忠)