2013/12/01

苦しいときの神頼み

昨年と今年、2年続けて熊野古道(くまのこどう)を歩いた。熊野古道は、熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)へと通じる参詣道の総称である。紀伊半島に位置し、主に、三重県、奈良県、和歌山県、大阪府に跨る以下の5つの道を指す。
  紀伊路(渡辺津-田辺)
  小辺路(高野山-熊野三山:約70km
  中辺路(田辺-熊野三山)
  大辺路(田辺-串本-熊野三山:約120km
  伊勢路(伊勢神宮-熊野三山:約160km
昨年は中辺路を小広峠から熊野本宮大社までの約17キロを歩き、今年は同じく中辺路を熊野那智大社(那智の大滝)から熊野本宮大社までの約28キロを2日かけて歩いた。
これらの多くは、2000年に「熊野参詣道」として国の史跡に指定され、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの世界遺産(文化遺産における「遺跡および文化的景観」)として登録された。
もともと熊野周辺は、日本書紀にも登場する自然崇拝の地であったが、熊野三山への参詣が頻繁に行われるようになったきっかけは、1090年の白河上皇の熊野御幸からと言われている。白河上皇はその後あわせて9回の熊野御幸を行った。これにより京都の貴族の間で熊野詣が行われるようになった。その後も後白河上皇は33回の熊野御幸を行っている。
江戸時代に入ると、熊野詣は伊勢詣と並び、広く庶民が行うようになったといわれている。一時は、熊野付近の旅籠に1日で800人の宿泊が記録されたこともあった。しかし、明治維新後、神仏分離令により熊野古道周辺の神社の数は激減し、熊野詣の風習も殆どなくなってしまった。熊野古道自体は、大正から昭和にかけて国道が整備されるまで、周囲の生活道路として使用されつづけた。実際に歩いていると、民家の軒先を通るような箇所もあり、思わず恐縮してしまう。2回とも時期が真夏だったため、道中の頭の中は、歩き終えた後のビールのことが大半を占めているが、それでも先人の歩く姿や信心深さに思いを馳せる場面も少なからずある。

八百万(やおよろず)の神と言われるように、日本人は神様が大好きである。今年は20年に一度の伊勢神宮の式年遷宮で盛り上がり、年間行事で見ても、初詣、厄払い、お宮参り、建前、受験、就職など様々な場面で神様にお願いをする。人間は弱いものだ。自分ではどうしようもないことに直面した時、人智を超えた力に縋りたくなる、救いを求めてしまう。そういう私自身も普段は信心深いわけではないが、本当に弱ったときにはやはり神様に縋りたくなる。過去には、上手くいかないことばかり続いた時期に祓いを受けてすっきりしたことがあるし、実務経験の全くないコンサルティング案件を一人で進めなければならず、不安に駆られて真夜中に祖父の墓前に神頼み(仏頼み?)に訪れ、泣き言を漏らしたこともあった。
しかし、神頼みというやつは完全ではない。神様も初めから努力もしない人間を救ってくれるほど暇ではないのだろう。やはり「人智を尽くして天命を待つ」ということになるのでしょうか?諺って奥深いですね。

「伊勢に七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)と言うそうである。三度目の来年は小辺路を十津川から熊野本宮大社までの約15キロを歩く予定である。先生、またよろしくお願いします。


(2013年11月 藤森)