2014/05/15

韓非子、論語、そして孫子

 早いもので私の好きな古代中国を題材としたコラムも7つ目となりました。まだ書くの、他に書くことないの、という声も聞こえてきそうですが、今しばらくおつき合いください。

 私は今年の3月末で37年間務めた会社を定年退職しましたが、ここ数年、古代中国の古典に向き合う気持ちが自分の中で変化してきていると感じていました。古代中国の法家思想を代表する書である韓非子に魅かれ、通勤電車で岩波文庫の韓非子4冊を漢文部分も含めて読み切ったのは、40代だったと思います。一方で孔子の論語は、当時の私にとって読んでもつかみどころのない書でした。春秋時代の物語で読む孔子、論語の内容、漢以後の儒教・朱子学の中の孔子像が一致しなかったからです。

 最近この韓非子と論語について、私の中に変化がありました。韓非子を読み返す気持ちにならなくなり、論語を読みたいと思うようになったのです。
まず、韓非子ですが、どうやら私は韓非子に統治の書としての価値を感じていたようです。韓非子を読むために、わざわざ高校の漢文の参考書を買って漢文の勉強をやり直しました。当時、ライン管理職としての重みがそのような気持ちにさせたのかもしれません。

次に論語ですが、これは私が意図的に変えました。斎藤孝氏の著書などから、私の中で、論語を学びの書として位置づけ直したのです。政治家としての孔子は考えず、教育者としての孔子に目を向け、柔軟な解釈のできる論語の内容を改めて読み直すことによって、私にとって新しい論語像ができました。

韓非子・論語の場合とは異なり、変わらぬ古典があります。それは孫子です。岩波文庫の孫子(金谷治訳注昭和36年第1刷発行)によると、中国の最も古い、最もすぐれた兵書で、その解説にある「日常処世のうえから人生の在り方の問題にまでわたって深刻な思索を誘うものが、そこにはある」という一文が私は好きです。
講談社学術文庫の孫子(浅野裕一著)では、「世界最古の兵法書として、また人間界の鋭い洞察の書として親しまれ、今日もなお組織の統率法や人間心理の綾を読みとるうえで必携とされている」と解説されています。この書は私にとって再読し甲斐のある一冊です。

経営書として韓非子、教育書として論語、戦略書として孫子を、私はこれからも大切にしていきたいと思っています。皆さんも自分なりの古典を大切にしてください。
 
(2014年5月 吉田 健司)