2014/12/13

学ぶと習う

 「自ら学ぶ人材」、「学習する組織」といった言葉をよく見聞きします。私も、「…を学ぶ」、「…を学習する」と言ったり書いたりしています。では、この「学ぶ」と「学習する」、あるいは「学ぶと」と「習う」はどのように使い分けられるのでしょうか。

 「学習」、「学ぶ」、「習う」の意味をインターネット辞書で調べてみました。いろんな使い方がありますが、今回のテーマに関連するところでは、主にそれぞれ次の通りです。
「学習」とは、まなびおさめること。勉強すること。 新しい知識の獲得、感情の深化、よき習慣の形成などの目標に向かって努力を伴って展開される意識的行動。
「学ぶ」とは、教えを受けて知識や技芸を身につけること。勉強すること。学問をすること。経験を通して知識や知恵を得ること。
「習う」とは、知識や技術を他人から教わること。 繰り返し練習・学習すること。

 確かに、「習う」は他人から教えを受けるとき、「学ぶ」は他人から教えを受けるときと自分で勉強するときの両方に使う、という整理はわかりやすいと思います。

 では、「学習」はどうでしょうか。ここでは有名な論語の冒頭の言葉を取り上げます。
「学而時習之 」 学びて時にこれを習う
むかし勉強したフレーズを思い出す方も多いと思います。では、現代語に訳すとどうなるのでしょうか。いくつかの解釈を比較してみたいと思います。
金谷治訳注の「論語」(岩波文庫)では、「学んでは適当な時期におさらいをする」と訳されています。
宇野哲人の「論語新釈」(講談社学術文庫)では、「先覚者に従って聖賢の道を学び、絶えずこれを復習して熟達するようにする」と通訳されています。
加地伸行全訳注の「論語」(講談社学術文庫)では、学びて時(つね)にこれを習うと読み、現代語訳では「(たとえ不遇の時であっても)学ぶことを続け、(いつでもそれが活用できるように)常に復習する」と訳されています。
斎藤孝訳の「現代語訳論語」では、「学び続け、常に復習する。そうすれば知識が身につき、いつでも活用できる。」と訳されています。前述の金谷治訳「論語」、宇野哲人「論語新釈」、 加地伸行全訳注「論語」を参考にされているようです。
 「学習」は学び続けることと常に復習すること。それがまなびおさめるにつながるのかもしれません。私は、「自分の言葉にできるレベル」を学習の目標にしていますが、目標に到達できるテーマはまだまだ少ないです。
(2014年12月 吉田 健司)