2012/11/30

自己認識


自分で自分のことは、意外とわかっていない。そんなことはよく理解しているつもりだけれども、それを改めて痛感させられた。それは、自分のスピーチ姿をビデオで見て、自分のもつイメーとのギャップがあまりにも大きいために、愕然としてしまったのだ。

ISU研究会の定例会では、スピーチをビデオ録画し、それをみんなで鑑賞するということ行なっている。3分間話をして、それをみんなで見るわけだ。見ているだけの人はおらず、みんなスピーチに参加する。スピーチはこうやればうまく見えるというコツはあるけど、それを実践しないといけないという話でもない。特に誰かからコメントや厳しいフィードバックがあるわけではない。上手にスピーチをする必要は全くないのだ。お題についても基本的に自由であり、ただ単にスピーチをするだけだ。そもそも3分間スピーチは、ISU研究会では何年も前から月次で行なっている。これまでやってきたことと何の違いもない。ただ単に目の前にビデオカメラが回っているかどうかだけを除いて。


しかし、これがものすごくストレスの大きいことなのである。


ビデオに映っている自分というのは、紛れも無く自分である。ビデオに撮られるということは、それを自分が見て本当の自分を知ってしまうことでもある。自分と対面するわけだから、対面する自分を少しでもよくしようと緊張してしまうわけである。しかし、どんなに緊張してがんばったところで、ビデオの中に映っている自分には結局がっかりさせられる。そんな状況になることは、正直言って辛い。しかし、現実を直視し、自分を知ることは必要なことであり、自分が成長しようと思ったら、避けては通れないものだ。

時々、自分の声を何かの録音できくと、自分の声は、全く別人の声のように聞こえる。その声についての感想は、気持ち悪いというのが正直なところだ。しかし、他の人に聞くと別に何の変哲もない普段通りの声だと言う。結局自分でもっているイメージの方が誤っているのだ。ビデオでみる自分についても同じことが言える。

自己成長するうえで、あるべき自分の姿を描くことが重要というのは間違いない。しかし、それに対して、現状の自分についてどの程度認識できているのだろうか。自己成長したいのであれば、現状の自分を認識することができて初めてスタートラインに立てるのでないだろうか。そういった点では、自分の姿をビデオに撮影して、それを見ることはものすごく有意義なことと思われる。
(2012年12月 橋本歌麻呂)