2013/04/30

「感情」を動かす


最近、世の中では「情緒」や「感情」よりも「知性」に訴えるものが多くなっている。テレビドラマを見ると、「刑事」もの、「医療」ものが多くみられ、「恋愛」もの、「友情」ものはすっかり影を潜めている。バラエティ番組を見ても、単純な「笑い」よりも常識や学生時代の勉強を問うクイズが席巻している。旅行もきれいな風景だけてはなく、訪問先の歴史や背景を織り交ぜたプランが人気を集めている。マーケティングにおいても、安さやブランドだけではなく、そのものの歴史・背景・ストーリーがあるものが人気を集めている。
成熟社会では、情報やものが簡単に入手でき、その量も多く、単に感情に訴えかけるだけでは魅力を伝えるのが難しくなっているのだろう。そのため、知的好奇心をくすぐり、頭の中で納得することでと行動をする傾向が強くなっている。
しかし、同じ成熟社会でも日本と欧米では、少し様子が異なっているように思える。欧米では、歴史の過程で「論理学」が発展してきた。そのため、人々は「論理的」な思考が自然と身についている。それゆえ、欧米人は議論も好むし、歴史や背景にあるストーリーを重んじる。他方、日本人は「ワビ」「サビ」といった「情緒・感情」に訴えることが得意であったはずである。
では、前述に述べたように、現在起こっている「知性」を求めるといった現象はどのような理由からきているのだろうか。
これはあくまでも私見であるが、単に社会が成熟しただけではなく、恐らく、バブル経済崩壊以後の「失われた20年」と言われる停滞の中に要因があるのだろう。右肩上がりの経済が終焉し、経済の停滞・下降により、将来に対する夢や希望といった期待感が持てなくなったことから、昔から日本人が得意としていた「感情」が押さえつけられ続け、「感情」が働きづらくなってのではないだろうか。結果的に「知性」より善し悪しが判断され、頭の中で納得したことで行動するようになったのではないだろうか。
 
しかし、経済は「感情」により左右される部分も多くある。日銀が物価上昇率目標を2%と掲げたが、20年の間に押さえつけられた日本人の「感情」を解放するのは並大抵のことではない。

ゴールデンウィークに入り、気温も暖かく、外では新緑も目に映える季節となった。「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」という句をふと思い出すが、元来、日本人が得意としていた『ありふれた日常の中で「感情」を動かすこと』が今大切なのではないだろうか。そんなところから、一歩を踏み出すのも良いかもしれない。
(2013年4月 渥美 仁孝)