2013/05/31

アナログな紙好きの趣味

 最近、書店に足を運ぶことが少なくなった。以前は暇があると本屋に行って、書架の間をうろうろと徘徊していたのだが。
近年はわざわざ書店に行かなくても、インターネットで書籍が購入できるようになった。しかも、近所の小さな本屋さんだけでなく、繁華街のかなり大きな書店でも置いていないような本でも、ネットなら比較的簡単かつ短日数で手に入る。それどころか、本そのものも電子化が進みつつある時代である。
しかし、私が書店に行かなくなった主な理由は、ネットで本が買えるようになったからではない。本当は、今でも本屋の中をブラブラ歩き回りたい。できれば何軒かハシゴして回りたい。本屋回りは、私にとって趣味のようなものである。快楽と言ってもよい。読書よりも、本を選んでいる方が楽しいくらいである。でも、あまり本屋に行かないようにしている。

なぜか?
それは、本屋に行くと、本を買ってしまうからである。

私は、はじめから「この著者のこの本を購入する」と決めている、目的買いの場合を除いては、紙の本を実際に手にとり、ページをめくって気に入ったものを買っている。仕事に直接関係のない書籍については、書店内をあちこちブラブラしながら、目についた棚の目についた本を抜き取り、中身が面白そうかどうかをチェックする。ところが、1回本屋に行くと、どうしても何冊かは面白そうな本に出会ってしまう。「こんな本を読もうという人は、そんなに多くはいないだろう」と思うと、すぐに絶版になってしまうに違いないと心配になる。そうすると、「イツ買うか?イマでしょ!」となってしまう。
買った本を抱えて帰ってくると、後悔する。本棚の中は、まだ読んでいない本の方が圧倒的に多い。本棚に収まってさえいない。何年も前に買って、読まないまま、いい色に熟成しているコレクションがたくさんある(一番古いのは、学生時代に買った本だ!)。典型的なツンドク。たまに、二度と読み返すことはないだろうと確信できるもの(本当は、大半の本は二度と読み返すことはないのだが)をダンボールに詰めて、○ック○フ等に買い取りに来てもらっても、焼け石に水。

電子書籍という文明の利器が登場したのだから、物理的なスペースを確保するためにも、これを利用すればよいのではないかという声もあるだろう。しかし、今のところ私は、電子書籍については食わず嫌いである。本を読んでいるという感じがしない、ありがたみがない、ということもある。その前に、目がもたない。疲れる。それでなくても、重度の肩こりに長年悩まされている。
一時期は、速読というものにも挑戦したことがある。せっかく、この時代に生まれたのだから、新しい発見や創作をひとつでも多く取り込みたいと思い、数十万円を注ぎこんだが、あまり上達せず、自分には無理と断念した。

なので、本屋に行かないことにした。

本屋に行かなければ、行っても、目的のコーナー以外には寄り道せずに帰ってくれば、面白い本の存在を知らなくてすむ。知らないのだから、買わなくても平気である。一分の隙もない、完璧な作戦。

これからの企業は、ビッグデータを有効に活用していかなければならないと言われている。企業だけでなく、個人もまた、日々生まれては押し寄せてくる膨大な情報にさらされている。情報の渦に徒に巻き込まれて沈まないように、トレンドの本質を見極め、自らにとって価値ある情報を取捨選択しなければならない。読みもしない本を嬉々として購入するなど、もってのほかである。
そうなのである。でも。


書店にあまり足を運ばなくなってから、かれこれ数年になる。趣味を奪われて、かなりストレスが溜まってきた。ストレスは現代人の大敵である。過度のストレスは健康によくない。健康第一なので、健康のためならば、仕方がない。そろそろ、趣味としての本屋回りを再開しようか。
(2013年5月 福泉 裕)