2015/05/28

永遠に生きるかのように学べ。 明日死ぬかのように生きろ。

これは、自分が日々の生活の中で一番大事にしていることです。インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーの言葉だそうですが、誰が言ったのかというのは、自分にとってはあまり重要ではありません。

それよりも、この言葉のもつ意味に惹かれます。

自分が小さいとき、両親は「歳をとってから物覚えが悪くなった」とか、「頭がかたくなった」とよく言っていました。それを聞いて、自分は大人になると、だんだんと頭が働かなくなるものなのかなと思い込んでいました。しかし、自分は今、当時の両親の年齢になりましたが、そんな風には全然思いません。英単語の暗記のような単純な記憶も含め、物事を理解する力や判断する力は、意識して努力することで継続的に向上するのではないかと思っています。

「学ぶ」ということは、座学だけではありません。新しいことに挑戦することもそうですし、いつもやっていることでも、視点を変えることで、新しい学びが得られるはずです。

すでに経験していることや、すでに知っていることに取り組むことはとても楽です。過去の経験や知識をそのまま適用できます。それほどエネルギーも使わずに、省力化でできてしまいます。しかし、ずっと同じことを繰り返していたのでは、新しいことを学べません。人間としての成長も止まってしまうのではないかと思います。

新しいことに挑戦すると、その分だけ失敗も多くなるでしょう。過去の経験が通用しないと、その分だけ考えたり、新しいことを当てはめてみたり、試行錯誤を繰り返すことになります。新しいことに挑むのはものすごく大変なことです。それでも、人間として成長するためにも、生きている間は、いくつになっても新しいことに挑戦し、新しいことを学び続けたいと考えています。


「明日死ぬかのように生きろ」ですが、実際に明日死ぬとなったら、いろいろな身辺整理などが必要になってしまいます。そうなっては毎日が余計に忙しくなってしまって本末転倒です。

自分の理解としては、いつ死んでもいいようにやれることを全部やる、やりたいことを全部やることです。死ぬ間際になって後悔しないことが大事なのかなと思います。やれることを全部やったか。力を抜かずに全力でやったか。そういうことが自問します。

どのみち、人間はいつかは死にます。歴史に名を残す人は別でしょうが、ほとんどの人は死んだら何もかもがなかったことになります。名誉や汚名も大したことではありません。死んだ後はお金も価値がありません。苦悩や苦痛があっても、自分がいなくなったら、誰も感じ取れません。少しくらいの過去のことにくよくよせず、前を向いて、目の前のことに全力に取り組みたいと思います。
(2015年5月 橋本 歌麻呂)