2015/07/28

自分で決める


当研究会では、会員が持ち回りでコラムを書いている。「書くこと」も「人に伝える」というインストラクションスキルの一つであり、訓練の一環ということで始めたのだが、会員たちが、どのようなことに興味があるのかということを伝える機会にもなっており、その題材は様々である。
 そうは言うものの、何度書いても、いざ自分の番になると気が重くなる。あらためて「今自分が何に興味があるのだろう」と、この時期は頭の中の引き出しをいつも引っ掻き回している。
 そこで、最近掲載した会員のコラムを読み返してみたところ、「勉強」「自己研鑽」といった自分の成長に関する内容が多く、改めて当会が成長意識の高い会員の集まりであることを認識しつつ、更に気が重くなった。
 さて、話を元に戻し、自分の身の回りを振り返ってみると、気になることが一つあった。最近、子供の間で流行っている「妖怪ウォッチ」である。たまたま、友人の子供に1話~5話まで見せてもらったのであるが、内容はご存知の方も多いだろう。
ごく普通の小学生の日常的な出来事を描いているのだが、その小学生がある時、不思議な力のある時計を手に入れる。すると、身の回りに起こるトラブルの際にその時計を着けると、妖怪が見えるようになり、その妖怪たちがトラブルを起こしていることがわかる。その小学生は妖怪を退治するわけではないが、なだめすかして悪さをやめさせ仲間にする…といった話である。
しかし、私には腑に落ちない。この話は単なるアニメであるが、悪いことも本人の責任ではなく妖怪の仕業ということになっている。これを無意識に見ている子供は将来「上司に怒られたのも妖怪の仕業」などと言い出さないだろうか…。
他方、自分の中で腑に落ちた書物にも最近出会った。これもご存知の方が多いと思うが「嫌われる勇気」というアドラー心理学を題材にしたビジネス書である。
ある自分が嫌いな青年とアドラー心理学を学んだ哲学者が対話形式で話を展開していく。その中で青年は哲学者に自分の不遇について語り始め、自分の不幸な運命はどうにもならないと話すと、哲学者は「それは、あなたが『不幸になることを自分で決めている』からだ」と言い、その後アドラー心理学について青年の心理の変化とともに説明していく内容となっている。
流石に、この青年ほどではないものの、私自身も「ハッ」とする言葉だった。「自分に起こっている全てのことは自分で選んだこと」。言われてみると尤もなことだ。何かを行う時、諦める時、物事をいう時、言わずに我慢する時…全ては例えどんな状況であれ、最終的に決めているのは自分だった。そのことを認識すると急に自分が恥ずかしくなった。あらゆる所で尤もらしく言い訳している自分を思い出したからだ。その反面、このことを認識した以後、何となく自分が潔くなったような気がする。「今の自分は自分で決めている」ので誰の責任でもないからだ。
人気アニメのことはさて置き、勉強する時、遊ぶ時、怒られたことに反論しない時等に誰の仕業ではなく「自分が決めている」と思考を変えてみるのもいいかもしれない。
だが、最近、自己研鑽を疎かにしているのはこの暑さの仕業だと思いたい。
(2015年7月 渥美 仁孝)