2015/12/24

自分の課題と相手の課題を切り分ける ~アドラー心理学から~

ここ1年くらいアドラー心理学に関心を持ち、書籍を読んだり、セミナーに複数回参加したりしている。本研究会でもそのエッセンスについて紹介させていただいた。アドラー心理学というと「勇気づけ」が最も知られているところであると思うが、今回は人間関係のトラブルを招かずに済むための考え方の1つである「自分の課題と相手の課題を切り分けて捉える」について、具体例を挙げながら考えてみたい。

皆さんにはこういった経験があるかもしれない。職場で仕事上有益だと思われる本を後輩に紹介し読んでみるように薦めているが、一向に読む気配がない。あるいは家で、子供が毎日朝寝坊をする。何度注意しても起きず、学校に遅刻してしまう。この2つのケースに共通しているのは、行為の最終的な責任を引き受けるのは、自分ではなく、相手だということだ。つまり「自分の課題」ではなく、「相手の課題」なのである。「自分の課題」とは、行為の結果が最終的には自分だけに降りかかり、相手には降りかからないものを指す。また、「相手の課題」とは、行為の結果が最終的にはその相手だけに降りかかり、自分には振りかからないものを指す。もちろん課題の中には自分と相手の「共同の課題」となるものもある。先に挙げた例でいうと、職場で必要な本を読まず、有益な情報が得られなかったり、スキルが高まらなかったりして困るのは後輩自身であって、自分ではない。面倒見が悪いと思われたくなくてついお節介を焼くのは自分の気持ちの問題である。学校に遅刻して先生に怒られたり、勉強が遅れたりして困るのは子供自身であって親ではない。躾のできない親だと学校に思われたくない、イライラするから口出しするというのは親の感情の問題である。

相手の課題に踏み込んでとやかく言うことでどのような問題が生じるのだろうか。まず、相手が自分で課題を解決する力を発揮する機会を奪うことになる。つぎに、相手が責任は自分自身にはないと思ってしまう恐れがある。さらに、互いの考えが一致しない時、相手は意見を押し付けられた、命令されたと感じて関係が悪化してしまうことがある。「誰の課題なのか」を考え、自分の課題と他人の課題にきちんと境界線を引くことで、相手を尊重し、お互いに感情的にならずに話ができるようになるのではないだろうか。身近なところで考えてみてもらえれば幸いである。

2015年12月 古平 梢