2013/03/27

私のライフワークのベースとなるジョギングの習慣


  私のジョギング歴は既に30年を超えている。
走り始めて既に、5.1万Kmを走破し、地球一周(4万Km)を超えてしまった。
ジョギングに費やした時間も、概算で約4,600時間ということになる。

  元々、中学時代に陸上部に所属し、走ること自体が好きだったこともある。
しかし、ジョギングを始めた直接のきっかけは、
転職(28歳時)を機に、職場の先輩・同僚に誘われて
昼休みのジョギングを開始したことにある。
昼休みのジョギングは、時間の制限から距離が短く(3~5Km)、
毎回ほぼ同じコースであったため、いつしかタイムを計測するようになった。
同僚と一緒に走り始めると、競争心のためか、
ゴール近くではラストスパートとなり、必然的に苦しくなる。
それを思うと、朝の出勤時から一種の憂鬱さを感じることもあった。
それもあってか、自宅から会社までの通勤を往復ジョギングでつなぐという
通勤ランのスタイル(過去約20年間続いた)になったのは、
引っ越しを機に、偶然にも、通勤ランの物理的環境が整ったからである。

  昼休みのジョギングを始めてまもなくの頃、
友人から誘われ、隣県の山中湖ロードレース(一周14.3Km)に出場した。
レース出場の楽しみを知ってからは、
富士マラソン(20Km)、駿府マラソン(ハーフ:21.098Km)、
熱海ゆらっくすマラソン(10Km)等を経て、
走り始めて9年目、36歳の秋、
ついに河口湖マラソン(フル:42.195Km)に挑戦できるまでになった。
天候や運にも恵まれ、初出場で憧れのサブスリー※(2時間54分)
(※市民ランナーの目標で3時間未満で走ること)で完走。
それ以来46歳までに計4回のフルマラソンを経験し、
その全てで2時間55分切の結果を残すことができた。
結果を出すには、長期間の練習プロセスをこなす必要があることから、
その醍醐味と満足感が自分に合っているように感じ、
徐々に長い距離を走ることにハマっていったわけである。

  ジョギングを継続できた理由を振り返ってみると、
以下の要因が考えられる。

①走ることの純粋な楽しさ!
 ・自分なりの目標に挑戦できること(アスリート気取り)、
 ・練習量はウソを言わず、結果に表れること、
 ・走行中の気持ちよさ(通称ランニング・ハイと呼ばれる)、
 ・走り終わった後の満足感。
   ※ 通勤ランでは、原則同じコースを朝晩走ることになる。
    目に飛び込んでくる風景は朝晩の明暗の違いに大きく左右されるが、
    当時はジョギングに適した携帯用ウォークマンもなかったためか、
    風景の違い以上に周りの音を感じながらの走りが多かった。
    暑さ寒さに加え、風を感じることで、四季の移り変わりに
    比較的敏感であったように思う。

②習慣化に成功!
 ・何時でも、どこでも、好きな時間帯に、一人でできる、
 ・通勤ランに適したコースと距離。
   ※ 適度な距離(片道5km)で、到着時刻が確実に予測できることから、
    不確定な他の通勤手段を使うことが面倒になるとともに、
    私にとって、「走る」ことはいつしか、
    1日の仕事は「通勤ランに始まり、そして終わる」との錯覚となった。

③ジョギングによるメリットを自覚!
 ・老化防止等、体力面での「心肺機能」や「筋力」の維持、
 ・運動不足による肥満防止等、「体型」の維持、
 ・頭の中を空っぽにできる等、精神面での「ストレス発散」の維持。
   ※ さらに、トレーニングを中心に捉える時、
   「通勤時間」=「トレーニング時間」と考えるようにもなっていた。
    自分にとっての都合のよい考え方、
   「通勤時間がゼロ」かつ「老後健康の維持担保費用がゼロ」、
    をすることで、走る時間の浪費を正当化したかったのも事実である。

  年齢を重ねるに従い、ジョギングへの想いやテーマは変化してくる。
若い頃と異なり、タイムや距離を求めなくなった昨今では、

①何時まで走るのか?
②何時まで走れるのか?
  そして、
③近い将来独立し、不規則で繁忙なホスピタリティの世界に
  身を投じるようになった時でも、継続することは可能なのか?

に最大の関心をもっている。
  私の信条「死ぬまで現役」を実現するため、
それを実現するための必要条件が、
「死ぬまでジョギング」を継続すること、と自覚しているからである。
  さらに最近では、

④ジョギングを継続するために、診断士のスキル(PDCA)を活かせるのでは?
⑤ジョギングと診断士との間にシナジーを構築し、強みにできないか?

等の想いを巡らせ、それらの解を模索する日々が続いている。
(2013年3月 後藤 泰山)