2013/08/01

責任論

日曜ドラマ「半沢直樹」が好調らしい。

 堺雅人さんが扮する半沢直樹が、メガバンクの中で上司の失敗の罪をかぶらされながらも奮闘するドラマだ。原作者の池井戸潤氏は「下町ロケット」で直木賞を受賞した作家だが、銀行出身の方で、自分の経験をもとにした話なのだろうか。

 お付き合いのあるメガバンクの営業の人に、「ドラマ半沢直樹みたいな話って結構あるの?」と聞いてみたところ、「あそこまですごかったら続けていけません」と言っていた。現実の世界はどこまでひどくないということか。

 しかし、サラリーマンをやっていると多かれ少なかれ似たような場面に遭遇されたことがある方も多いのではないか。かく言う筆者も少なからず思いつくものがある。サラリーマンの社会で、重要事項についてミドルマネジメントだけで決定することはありえない。必ず段階を経て上へ上へと決定決議はゆだねられていく。

 半沢直樹はドラマの中で、焦げ付いた大口融資に責め立てられ、「自分にも責任はあるが、融資を許可した本部にも責任はある。」と啖呵を切る。責任ある立場の人間が、責任を回避する姿を見て不快に感じていたところでスカッとするセリフだ。

 失敗を恐れていてはチャレンジできない。失敗をあげつらう企業文化にチャレンジ精神は育まれない。いくら経営者がチャレンジする社員を求めているといっても、チャレンジして失敗した人を排斥していたら、口だけの経営者と烙印をおされるであろう。

 社員にチャレンジさせることは上司や経営者にとっては重要なことであるが、同時に失敗した責任は自分がとる気持ちがなければ、部下にチャレンジさせてはいけない。また、上司が承認した案件について、部下の責任は基本的には免除されなければならない。


 そんなことを考えながら、週末にドラマを見ている。
(2013年7月 佐野 裕志)